<井上大朔さんの決意表明>
私は一人ぐらしです。
大学生の時に、統合失調症を発症し、入院しました。退院して、一年間、会社勤めをしましたが、仕事で無理をしたため、辞めざるを得なくなりました。その後、病気が再発し、働くのはムリと判断され、生活保護を受けるようになりました。
ところが、生活保護が減額され、生活が大変になりました。友だちと遊びに行くにもお金を節約して費用を出していましたが、引き下げされて一ヶ月に一度遊びに行くにも、やりくりが大変です。外出先で気軽に飲食することもできません。月に一度、外食に行ければ良い方です。病気のため、自炊も難しく、弁当などを買うと毎月の食費がどうしてもかかります。朝食を安くするために、一週間分のパンとヨーグルト等をまとめて買って、節約しています。
毎月の保護費の減額に加え、さらに冬季加算が一冬で約3万円も減りました。この冬は灯油の価格が例年になく安かったので、なんとか凌げましたが、灯油価格が上がったら容冬季加算だけでやっていけるかどうかとても不安です。
消費税は社会保障のためとなっているのに、生活保護の支給額が減額されるのは納得いきません。このままでは、支給額が際限なく減らされるのではないかと心配しています。現状でも、やりくりを工夫して何とかしのいでいる状態です。これ以上減額されると健康で文化的な生活などできなくなります。金銭面、精神面で不安なく国民が生活できるように努めるのが国の役割のはずなのです。それを果たしているようには、とても思えません。
生活保護基準以下で暮らしている人がいるから保護費を減額したとのことですが、それが保護費減額の正当な理由になるとはとても思えません。単なる弱者の切り捨てとしか言えないと思います。生活保護費の減額を、是非とも撤回してもらいたいです。
2月20日、共済ホールで行われた「いのちとくらしを守れ!2.20総決起集会」に参加しました。
「各分野からの事態とたたかい」のリレートークが行われ、ダリアの郷支援センターの堀田美千子さんが檀上に立ち発言しました(発言内容は下記をご覧ください)。また、一緒に集会に参加したメンバーも檀上に立ち、横断幕を持って堀田さんを応援しました。
堀田さんの発言は、ゆっくりと堂々とした話し方で「とてもわかりやすい発表だった」と会場のみなさんに好評でした。
< 堀田美千子さんの発言>
こんにちは。精神障害者を支援する会の利用者の堀田美千子です。
1950年、北海道最北端の利尻島で生を受けて、現在66才になりました。19歳の時に統合失調症と診断され、多くの差別の中で入退院も何回も繰り返して生きてきました。自分で自分を差別したこともありましたが、28歳の時に生活と健康を守る会の三浦会長と細川副会長に結び付き、全ての人が私たちを差別や排除をしていないことがわかり、初めて障害者としての出発でした。そして、少しずつ人を信じられるようになりました。
その頃、国際障害者年が政治の流れの中で位置づけられ、札幌でも集会や署名行動などを行ってきました。「私たちは障害者である前に、人間として認めてください」と三越前でチラシを配布したことが昨日のように思い出されます。そのような活動から私たち精神障害者の要求を国や自治体に上げて交渉をしてきました。その甲斐あって、国の法律でも3障害一元化を位置づけられるようになってきましたが、しかし、国や自治体においての実態はそうなっていません。交通費助成や重度医療助成をとって見ても差別のままです。
私は現在、地域で独り暮らしをしていますが、60才を越えたころから週1回ヘルパーさんに来てもらい、1時間30分の居宅介護という事で掃除などの生活の援助をしてもらっています。昨年65才になった時に、区役所から「65才になったので介護保険の適用になりますので、調査に伺います」と言われ、私は足も腰も今のところ動くし、自分で洗濯もできるので、「介護保険になったとしたらどうなるのか」とヘルパーさんに聞いてみたところ「たぶん支援の時間が減るでしょう」と言われ、とても不安になりました。また、統合失調症という障害故、障害者総合支援法の障害福祉サービスで支援を受けたいと思い、支援する会のスタッフに相談をした所、以前65才になった同じ障害のあった方が障害福祉サービスを利用できた事を教えてもらい、西区役所の担当者に来てもらって状況をお話し、今まで通りのサービスを要請しました。おかげさまで現在も障害者サービスを受けられていますが、「65才原則介護保険」と言われており、私たちの仲間も介護保険に移行させられた人が大勢います。大切なのは、障害者がその障害に寄り添ってもらって当たり前に暮らしていけることこそが「人間として当たり前に暮らす」ことになるのではないでしょうか。
私は、障害年金と足りない分生活保護を受給しています。その生活保護は3年間に渡って引き下げられ、さらに今年の冬の冬季加算は約3万円近く引き下げられてしまいました。支給するお金だからと国が勝手に引き下げることは、みんなの暮らしを引き下げていく事になります。だから私は「新・人間裁判」の原告になりました。
皆さん、どうか私たちの味方をして、力を貸して下さい。そのことを強く訴えて終わります。
いよいよ、12月から第39回目の国会請願に向けてのきょうされん国会署名・募金キャンペーンが始まります。
◎キャンペーン期間
2015年12月~2016年4月
ご協力、よろしくお願いいたします。
署名担当:片山・藤原
支援する会からも、原告5人が、みさんのカンパで参加しました!
ご協力ありがとうございました。
ダリアの郷支援センター 伊藤勇人さんの発言
私は、北区に住む伊藤です。病名は統合失調症です。病棟転換型居住系施設には反対です。病状が良くなっても病院にとどまる「社会的入院」も数多くいるといわれていますが、だからと言って病棟内にグループホームを作っても、単なる看板の掛け替えで事実上精神障害者を病院に閉じ込めたままにするということです。
私は今現在、週に3回のパートの仕事をしながら、生活支援センターに通所しています。過去4回の入院歴がありますが、2度目の時4年間の入院を余儀なくされました。自分を取り戻してから1年、2年と病棟での生活が続くに従い、諦めの気持ちになり、このまま一生病院生活が続くのではないか、という精神状態になりました。まだ、20代の若さでありながら、退院したくても引き取り手もなく途方に暮れていました。きっとこの時に今言われている病棟内にグループホームが存在していたら、間違いなく入所したに違いありません。今思うに、これでは地域に出るチャンスを失っていたと思われます。私の場合、自力で仕事を探し退院にこぎ着けましたが、そうでもしなかったらもっと長い期間の入院生活になったと思われます。自分にとって入院生活ほど苦痛なものはありません。仮に病棟内を区切って生活しても病院はやはり病院でしかありません。
病院にいた時すでに立ち直っているにもかかわらず、10年以上入院生活を送っている人もいました。でも年齢であったり、自立する自信がなかったりで退院したいと思えずにいた人も居ました。だから、大切な事は、病院でなく直接地域に受け入れるグループホームが増えていけば、どんどんそういう人も受け入れることが可能になります。
私が知っている地域のグループホームで生活している人は生きいきとしています。そこから一人生活に変わり社会と関わっていけると思います。病棟にいることでプラスになるのは、病状が悪化した時だけです。
病棟内にグループホームを作ることには絶対に反対です。以上です。
政府が進める生活保護基準の引き下げに対し、『健康で文化的な最低限度の生活を保障する憲法
25条に違反するので中止せよ』を求める生活保護利用者142人が札幌地方裁判所に提訴しまし
た。この訴訟は新・人間裁判と呼ばれ、国民の生存権を問うたたかいです。
新・人間裁判の母体は「生活保護制度を良くする会」です。是非入会いただき、この裁判をご支援
下さい。
この新・人間裁判に全国で約500人が立ち上がっていますが、北海道は142
人の原告団となっています。
支援する会からは23人が原告になり『人間らしい暮らしを取り戻そう』とがん
ばっています。
憲法25条を守るキャラクター「にごやん」。
裁判支援グッズのクリアファイル1セット4種類入りで500円で、売上は裁判支援となります。
支援する会でも取り扱っております。協力よろしくお願い致します。
野幌記念塔からの行進コースに3名が参加。
河岸公園からさらに4名が合流し、計7名で行進に参加しました。
”ノーモア・広島!ノーモア・長崎”〝核兵器のない世界を”〝戦争反対”を訴えながら、野幌から中島公園までの20㌔を歩き、平和を訴えました。